家族とわたし

先日叔母からおばあちゃんの事を聞いた時から、家族に対しての自分のことをとても考えた。

私はおばあちゃんにだけじゃなく、家族に対して素直になれないで今まできた。

物心ついたときから、
母=怖い人、怒らせちゃいけない人
って思って育ってきた。
何故そう思ったのかは分からないけど、記憶を辿っていっても思い出せる範囲では最初から母は怖い、難しい存在だった。

だから主に甘えてきたのは父、祖母だった。
祖父は私が6歳の時に亡くなったから、それまでは厳しい態度にはビクビクしたけど甘えさせてもらってた。
うちは家族みんな教員だけど、祖父はまさしく愛のある指導をする先生みたいだった。

おばあちゃんはいつも同じペースでいてくれた。
保育園が嫌で行きたくない時、家でたっぷりお話をして、それから「とりあえず園の方まで行こう」と一緒に歩いてくれた。
その日は無事登園した気がする。

小学生で夜目が覚めて眠れなくて不安な時も、意地汚い起こし方をしたのにちゃんと眠れるためにアドバイスをくれた。
そうしたら眠れた。

中学も高校も、おばあちゃんの愛を感じた大きな思い出がある。
当時は“愛されてる”なんて改めて思わなかった。

母に甘えられない寂しさやコンプレックスを持っていて、家族全体を①好きなひと②嫌なひと に分けて考えていたと思う。
だからか、愛されれば調子にのって天邪鬼になり、寂しくされると心の中で嫌うっていう子供だったと思う。

どちらの自分の態度も好きじゃなくて、でも素直になるのは恥ずかしかったり恐怖感があったりで、直さなかった。
そこから自分を好きになれないのが始まってるのかな。

思春期になれば、おばあちゃんの優しい行為をうっとうしく感じ、とても冷たい態度をとっていた。

ここが最大の後悔。

こんなにも大好きで優しくて愛してくれてる人に、ずっとずっと冷たくした。
うっとおしいと思ってた。

この後数年のうちに体の自由がきかなくなって、私のことも認知できなくなって悲しい思いをするのに、大切にしなかった。
感謝しなかった。
愛されてると感じようとしなかった。

近年ずっと、おばあちゃんの優しさや温かさが恋しかった。
泣きついて色んな話をしたいと、何度も思った。
でももうアドバイスは聞けないと思うと、その現実を整理できなくてあまり頻繁に会いに行かなかった。

全部全部、ほとんど全てが、素直じゃなかった。
性格悪い人だった。
そんな、嫌な部分を隠そうとして外面よくするから、神経が無理して許容量オーバーになった。

自分の醜い面を誰かに晒すなんて、少し前までできなかった。

今でも母に対しては複雑な思いがあって、すぐに嫌な態度を取ろうとしてしまう。
けれどそれももうやめる。
どこかで変えないと、この先自分が命を創り出すとして、その子にも酷い態度を取ってしまう。
大切な人を大切にしない、後悔ばかり残ってしまうから。

すぐに全てを変えることは難しいかもしれないけど、まずは母に素直に接してみようと思います。
友達を想うように、その人をなくしたくないという気持ちを認めて行動する。

素直になるっていう、自分が1番したかったことを始めるきっかけをくれた。
おばあちゃんはいつでも私を助けてくれる。