愛されてるの証拠

長らく時間があいてしまいました。

 

2017年8月に無事出産してから、

それはもう毎日が戦場(?)のようで

自分の基本的生活+自力でほとんどできない人の基本的生活を毎日こなし、

1ヶ月が過ぎればそこに+家事や普段の生活(出かけるとか)が加わって

24時間が12時間ほどしかないのではと疑問に感じるくらいあっという間の1日を過ごしています。

かれこれ6ヶ月強。

 

懸念していた通り、

母は若干産後うつっぽかったり、育児の自信のなさに対人恐怖を覚える期間が長くありましたが、

6ヶ月が過ぎてホルモンバランスもおおよそ元どおりになってきたのか

コントロールを手中に収めつつあります。

 

半年以上ブログを書かなかったのは、

書く余裕がなかった!これに尽きる。

 

私はふと自分の世界に入る時間があって、

その時にいま感じていることやさっき思ったことをまとめるのですが

小さいひとと一緒にいると、この自分の世界に入る時間が取れない!

 

ご機嫌センサーに24時間神経を使っていたり、

月齢が上がってきてタイミングが分かるようになってきても

自分が動ける時間=家事や用事を済ませる(自分の食事など含む)時間

なので、本当に本当に、自分のことを考えられる時間がなくなりました。

 

出産前に

 

やりたいことは全てやっておきなよ!

ひとりの時間とれないよ!

寝たいだけ寝る方がいいよ!

食べたいもの食べに行った方がいいよ!

 

etc

経験者の方々のお言葉をよく耳にしていたのですが

完全に侮っていましたわたくし。

 

もっとボーッとしておけばよかった。

これからのことを夫と話しておけばよかった。

ファッションのことをもっと考えておけばよかった。

(とはいえ服は、体型的にも授乳など機能的にも何が着れるのか想像もつかなかったので、これはしょうがないかも)

 

赤ちゃんを迎える準備含め、

様々な準備が不十分だった我々は

産後かなり苦労しております。

疲弊しております。

 

快適な就寝空間だけでも確保しておく必要があった…

 

とはいえ、

未知の生物・我が子がいる生活は

かわいさ要素が満腹レベルです。

 

自分の顔写真の周りに

『かわいさ』というスタンプを押したら

背景がほぼ隠れるほどではないかなと思います。

 

こちらが決してハッピーモードで接していない時でも

屈託のない笑顔で

「ケヘヘヘッ」って笑いかけてくれた日には

あれー?私もっとハッピーモードでいていいのかもー??

とお花畑に行けそうになります。

 

『かわいさ』の急激増加とともに

『きんにくつう』『ねぶそく』『まんせいひろう』という要素も

人生MAXレベルに引き上がっていますが

人間、精神を病まなければくたばることなく生きていられるものだなぁと

実感しています。

 

 

今日は雨。

だけどここ数日で、春らしい諸々を感じています。

 

かわいい白い花(おそらく梅かな)が咲く

寒くない空気

甘酸っぱい匂いが似合う

日も長くなり、17時以降に帰宅しても子供が泣かなくなりました。

冬至付近は16時すぎから怪しく、

17時以降は暗くて恐怖だったみたいです。)

 

季節や日の長さを感じる部分も、

自分の生活とともに変わるのだなぁと思います。

 

私は基本的に周りを見て動くとか、

客観的視点を持つことが果てしなく苦手かつ苦痛なので、

育児子育てには全然向いてません。

 

常に自分以外の何かに目を向けていなければいけないのは、

本当に苦痛です。

 

だけど我が子だから、それもしようと思えるのでしょうね。

なんというか

問答無用で幸せになってほしい。

楽しんでほしい。

ハッピーでいてほしい。

って思う。

 

大きく大人になれた私たちは

間違いなく

自分も親に(もしくは親代わりの誰かに)

こんな風にめちゃくちゃ愛情を注がれて

ここに存在しているということ。

 

これ絶対忘れちゃいけないと思います。

 

赤ちゃんはどれだけ栄養と衛生が保たれていても

愛着行動がなければ必ず死んでしまう。

 

だから大人になれてる時点で

私たちは

ものすごくものすごく愛されてる。

愛されまくってる。

 

これまでの人生での思い違いや思い込みで、

親に不信感を持ってる人もいるけど(それわたし)

間違いなく愛情ばっかりだったことを、

ここに証明します!

 

幻想で固くなった心と体が、

母になることでもっとじんわり溶けていくといいな。

 

 

なかなか言えなかったこと

https://conobie.jp/article/2995

 

今週からついに臨月になった私の体とお腹の赤ちゃん様。

妊娠がわかってからずっと、どうしても『自分が親になっていいのか(なる自信がない)』という思いが消えない。

 

ただでさえ初めての出産は不安や恐怖が押し寄せてくる人も多いけど、

もっともっと深い不安感で怖かった。

 

この記事を読んで自分とリンクする部分が多かったのだけど、

私も虐待を受けたわけでも、明らかなネグレクトがあったわけでもない。

ただただ私がほしかった愛情の形を母から受けられなかっただけ。

それが大人になるにつれ、自分の人格形成や他人との交流の中で大きな悩みを生んで、10数年精神障害の治療をした。

 

今では愛されてなかったのではなくて、

私には分かりにくい形の愛だったと理解できているけど、

一時期は精神障害を持ったのは母のせいだ!

と思えて仕方なかったりもした。

 

どうしても理想の母親像と、自分の性格や考え方がかけ離れすぎているように思えて、母親になる資格や自信がないと感じていた。

 

こういう根底の思いから、妊娠が分かって嬉しい・楽しみな気持ちもある反面、

とにかく不安だった。

 

大丈夫、なんとかなるって!

それより赤ちゃんのことをかわいい!と思えてきた自分の感情に目を向けよう!

生まれてくる子が幸せに育つことだけ考えよう!

等々、頭ではいい方の気持ちにフォーカスして不安が小さいものだと思い込ませようとしていた。

けれど、根底にある不安はそんなことでは消えない。

産休で今までのように人と頻繁に会うこともなくなり、臨月に入って出産が迫ってきたことでより明確に感じるようになった。

 

この記事に出会って、すこしだけ心がやわらかくあたたかくなった。

もしかしたら自分は、いい母親になれるポテンシャルを持っているのかもしれないと思えた。

 

 

「誰より子どもが親に求めていることを、与えることができる」

という言葉にすごく安心感と納得感を持った。

 

私が母親に求めていたことって何だろうと、改めて考えてみたら、

もっと褒めてほしかった、話を聞いてほしかった、自分に興味を持ってほしかった

など、昔から色々思っていたけど

結局1番求めていたのは、母がいつもニコニコ笑顔でいてくれることだと思った。

はたから見ていて『幸せそう』な表情を見たかったり、言葉を聞きたかったんじゃないかな。

それがあれば、どれだけ怒られたり大して褒め言葉をかけられなくても、私も安心できたのではないかな。

 

すこしだけ気持ちが楽になったので、やっぱりまずは自分が幸せに、嬉しいなと感じながら日々を過ごすことを大切にしていこうと思う。

洗練された家に住むことや、毎日手作りのごはんを食べることだけが大事なのではない

ということを忘れないでいようと思う。

 

どれだけ自分がニコニコ気分でいられるか。時には怒ったり嫌な気分になることもあるけど、ベースに幸福感があればいい。

 

素晴らしき細胞

人間の体はよくできているなぁと思った話。

 

2ヶ月ほど前から、産婦人科での健診で体重増加を指摘されるようになり危機感を抱くようになった。

 

ここ1ヶ月はほぼ毎日体重計に乗ってチェックしている。

食べ方や間食に気をつけたり、今まで想像もできなかった1時間ウォーキングするというのも当たり前になってきたのもあってか、最近は増え幅がゆるやかで指摘もなくなった。

 

それでもお腹の中のひとが大きくなる必要があるため、人生初の数字をたたき出す日々で。

今週は特に、ギョッとする数値に到達したので更に運動しなきゃなぁと思っているところ。

 

ところが

きょうも朝体重計に乗ると、相変わらずのギョッとする数値。

 

それから久しぶりに電車を使って都会へ出て、この蒸し暑い気候も手伝って1日でとっても汗をかいた。

もともと汗っかき+妊娠後期で更に新陳代謝がよくなりすぎて、すぐに汗をかく。

 

帰宅後もう一度体重を計ってみたら、なんと朝から1.5キロも減っていた。

 

後期の妊婦は体内の水分量(血液量も)増えるからむくみやすい

 

とよくマタニティ情報で目にするけど、まさしく水分の占める割合が多いからなんだなと実感した。

汗をかくだけでこんなに体重が変わるなんて。

本人は何も意識せずに生活しているけど、体はずっと妊婦用に働いていたのだなと思った。

意識してなくても中のひともぐんぐん育つ。

自分の意思とは全く関係なく働く体に、尊敬の念がわいた。

細胞って、私自身の思考なんて到底及ばないレベルで勝手に変化してくれるんだなと。

ヨガでよく、今日もがんばってくれた自分の体に感謝しましょう、と締めくくられるのだけど

本当にその通り。体は思考と別物(別人)と捉えて大切にしてもいいくらいだと思った。

 

風邪の恩恵

妊婦生活9ヶ月目(?)にしてはじめて風邪をひいた。

 熱はそこまで高くならないのに、通常時の2倍?!くらい息苦しさや体のダルさでしんどかった。

そもそもが妊娠後期で血液量も増えていて、心拍数も上がってる体だから仕方ないのだろうけど。

 

産休に入って3週間目でもあったのだけど、風邪をひくまでの毎日は常に頭の中が忙しかった。

入院・出産準備がほぼ何もできていないので、ベビーベッドは・チャイルドシートはどうするのか、自分の入院に必要なものもまだまだあるしお金もかかるからどこかで節約しなければいけない、

出産後のこの家ではどうやって生活する?寝室は?!まず家の中をかなり片付けないといけないし、掃除だって今までしたことない場所までたくさんしなければ、間に合うのだろうか、

名前もまだ何も決まっていない、ああどうしよう、アレどうしようコレどうしよう

 

2週間毎日、頭の中がこんな感じだった。

加えて毎日の食事や洗濯系の家事をやらねば、でも疲れた、でもやらねば…とにかく無限ループしていた。

そして頭はグルグル働くわりに行動に移せていなかった。

 

通常時の2倍しんどく風邪をひいたことで、当たり前だけどそんな頭は働かせることができなくなり、結果的に私にはよかった出来事だと思う。

一旦思考停止して気持ちや気分で動くようになると、考えなくても優先順位がついた。

掃除は何からやるか、

どこから片付けをするか、

出産準備は何からするか。

 

働かせていた頭も、先と過去のことしか(ほぼ)考えていなかったから動けなかった。

いま何がしたいか、必要か。それでいいんだと腑に落ちた。

 

 

まだ治りきらず、咳で眠れないような状態でもあるけど、

風邪をひく前よりもだいぶ楽。

考えすぎて頭がジンジンするのが改善されてるし、何より自分が心地いいことをわりと大切にできてる。

治りかけてまた気付いたのが、“無駄に”スマートフォンを触っていると咳がひどくでる。

目的なく、ただの暇つぶしに見ている時。

これは今の私に(というかいつでも)スマートフォンはこんなに必要じゃない、と語りかけてくれているような感じ。

こうして文章を書いている時はひどくならないもんな。体からのサインって大事。

 

出産後も未知の世界なので、あれやこれやと不安になるのかもしれないけど、いまのこの感覚でいきたい。

まずは自分が気持ちいい心地いいことを。考えるのではなく、これは体感しながら決めていくこと。

その次にこどもや夫が心地よく過ごせることを考える。

こども第一になるとよく聞くけど、私は自分第一でないと他の家族も心地よくいられないと思う。

森の中の深呼吸のような時間

ひさびさのTOKYO

ひさびさのひとり旅

 

いつもゴロゴロして起きるのがおっくうな私が、サクッと2時間前に起きて準備をはじめる。

新調していない服たちの中から、鏡を見ながらちょっとでもお気に入りのコーディネートができるように考える。

毎日充電しなきゃ!と思っていたウォークマンをサラリと充電して、新幹線のお供に。

 

自分にとって東京にいくことがこんなにも重要な時間だと改めて発見した。

東京に何かしらスペシャルな思い(何かはまだ解明せず)があるとは思うけど、

道中が最高にリラックスできるひとり時間なのだと思い知った。

必要な時間なんだなーと。

 

東京に対する特別感は、もしかしたら地元に帰るのと同じような感覚なのかもしれない。

小さい頃からよくよく行っていた場所で、行っても行っても知り尽くすことができない、完成しない街。

だから面白いし、懐かしさも感じてホッとするのかも。

 

今宵も仕事な旦那氏を残してごめんねとも思いつつ、

小さな命も連れてひとり好き勝手に行かせてくれる度胸にも感謝。

 

難しいはなし

9月から転職して、障害者の方の就労移行支援事業所で働かせてもらってる。

 

わたし自身の精神疾患→フツーに働く、生活するようになった経験があるので、

働く・希望する生活に近づくことができる人が増えたらいいなの気持ちがベースになっています。

 

主に精神障害の方が中心になってくるそうだけど、精神障害になる方の多くは親との関係性に問題があることが多い(と思う。自分の時や、周りの罹患者を見てての私的感)。

 

わたしの場合は、

・母は、プラスの事を『言葉で』素直に表現しない人だった(純粋に褒めたりしない)

・母自身が、無理をしたりがんばりすぎるのが当たり前のひとだった(自分を褒めないので、子供の褒め方が分からない)

 

というだけの話だったので、

客観的視点に立てるようになったり、記憶=思い込み(自作の作り物)だと教えてもらった事で、だいぶ楽になった。

どんどん現実を、事実を見られるようになった。

ずっと言いたかったことを、勇気を出して母に伝えたのも大きい。

 

けれど世の中には本当に子供の事を想えないお母さんもいるかもしれない。

恐らくそのお母さんも、自分で自分のこと大切にできていないから。

自分に精一杯で、誰かと(=子供と)一緒に歩いていくなんてできないのかもしれない。

 

そうなるとイチから、ゼロから価値観を再構築するのはなかなか高い壁があるのかもな。ってのが、今日思ったこと。

 

『お母さんに認められてない自分は価値がない』(と思ってることすら気付いてない人も多いかも)

『自分が認めてあげれば、自分には価値があることを実感できる』

というように、フォーカスを変える必要がある。

 

心の穴を埋める材料を外に求めると、何を手に入れても埋まらない。

 

それは親の愛情、扱いだけじゃない。

お金もモノも人間関係も全て手に入れても、自分が自分のことを永遠に卑下してたら、永遠に心の穴は埋まらない。

 

何かがあれば寂しさから抜け出せる、受け入れてもらえれば満たされる。そういう外の変化だけでは無理だった。

 

わたしは自己流だけどプロセスを経てみて実感した。

母、家族、パートナー、経済状況etc…何が変わっても、最終的には自分次第だった。

自分から自分への扱い方が変わらないと、不安定さは越えられない。

 

だから結局は、どんな家庭環境でも自分との戦いなんです。

 

1番に大切に思ってくれるのはパートナーでも親でもなく、自分。

 

そこまでたどり着けたら、生活すること自体はだいぶ楽になるはず。

 

でもこの“自分次第”って受け入れるのは相当勇気が要る。

家庭環境が良くなければなおさら。

 

それでもこれから、このプロセスが誰かの望みに役立てられたらいいなと思ってる。

わたしもまだ途上なので、自分に愛情を注ぐ練習をたくさんしているところ。

 

 

 

 

 

結婚式はトンネルである

もう半月たってしまいましたが、5月15日に結婚式を挙げることができました。

大切な人ばかり一度に集まってもらえて、しかもみんなに祝福してもらえるなんて
もう本当に胸がいっぱい、感謝でいっぱいでした。

そして今日は、1年ほど通ったホットヨガスタジオで知り合った、ヨガの先生のウェディングパーティーに参加させてもらいました。
いわゆる1.5次会の位置付けだろうけど、フェスをテーマにしたというパーティー。
本当にフェスに来たかのように、アーティストの演奏があり、踊ることもでき、自由に飲んで食べて、ひとと交流して
参加した私たちが本当に楽しめるパーティーでした。最高だったな。


わたしにとって結婚や結婚式を迎えるまでの過程は、素直な自分を掘り起こす作業のようでした。
これまでの経験の振り返り、心にずっとある想いの精算作業、本当に望んでいることの確認、自分に対する思い込みのアップデート…そんな作業が数日ごとに行われていた感じです。

思えばね、彼と出会った3年前の私はもっともっと悲観的で演技的でした。

さっきふと、3年前は「死にたい」ってよく口走っていたことを思い出して。
今ね、本当に分からないんです。どうして自分が「死にたい」ってよく言っていたのか。
死にたいなんて感覚、いま全然なくて心の中から消えちゃったんです。跡形もないくらい。

確実に彼といるこの3年の日々で、どんどん幸せになってるんだなぁと、我ながら思います。


人間の怒りの感情は、必ずその奥(裏)に二次的なマイナスの感情があるそうです。

イライラしてても、
本当は認めてもらえない悲しさ・寂しさだったり
不甲斐なさだったりする  という訳です。

この話を聞いたときに、すごーく納得したし思い当たる節がありありだったんですね。

わたしが「死にた」かった時って、怒りで表しきれないマイナスな感情が働いた時なんです。
もともと怒ることが苦手で、マイナス感情の昇華のさせ方を持ち合わせていなかったから、だろうけど。

どうしてもひどい空虚感に苛まれて、いま話を聞いてほしいけど叶わない寂しさがある
とか
大きすぎる不安を少しも小さくすることができず、自分の無力さや行き場のなさを感じたとき
とか

やっぱり怒りじゃなかったんです。

そこに気づけるようになったのは、素直になったから
じゃないでしょうか。

本当はどうしたいの?
という自分から自分への問いに対して、
きちんと本音をぶつけるようになった。

本音を自覚できるようになった。

そこに至るには自分だけの力ではなくて、たくさん  ハッ  と気づかせてくれる人がいたからです。
いちばんは、やっぱり旦那さんですがね。

それと、不安や寂しさをきちんと受け止めてくれる人がそばにいてくれる事も同じくらい重要な要素です。
これももちろん旦那さん。



素直になるって、やっぱり物凄く大切です。
恥ずかしいとか、プライドとか、そういうのは周りからの目線を意識してるから働くのであって
周りからの目線なんて本気でどうでもいいです。

周りからの想いは、とても貴重な宝物だけどね。

生きているのはわたしで、人生もわたしのものです。
わたしが幸せなら、近くにいるひとも、周りのひとも幸せらしいです。

わたしはわたしが幸せになること、
心からしたい事をどんどんしていこうと思います。
わたしはわたしをもっともっと大切にしようと思います。

それが、わたしの幸せを願って、大切にしてくれてる旦那さんや友達たちへの恩返しになるはずだから。


この決意に至らせてくれた、今日のウェディングパーティーを作った彼女にも感謝です。