結婚式はトンネルである

もう半月たってしまいましたが、5月15日に結婚式を挙げることができました。

大切な人ばかり一度に集まってもらえて、しかもみんなに祝福してもらえるなんて
もう本当に胸がいっぱい、感謝でいっぱいでした。

そして今日は、1年ほど通ったホットヨガスタジオで知り合った、ヨガの先生のウェディングパーティーに参加させてもらいました。
いわゆる1.5次会の位置付けだろうけど、フェスをテーマにしたというパーティー。
本当にフェスに来たかのように、アーティストの演奏があり、踊ることもでき、自由に飲んで食べて、ひとと交流して
参加した私たちが本当に楽しめるパーティーでした。最高だったな。


わたしにとって結婚や結婚式を迎えるまでの過程は、素直な自分を掘り起こす作業のようでした。
これまでの経験の振り返り、心にずっとある想いの精算作業、本当に望んでいることの確認、自分に対する思い込みのアップデート…そんな作業が数日ごとに行われていた感じです。

思えばね、彼と出会った3年前の私はもっともっと悲観的で演技的でした。

さっきふと、3年前は「死にたい」ってよく口走っていたことを思い出して。
今ね、本当に分からないんです。どうして自分が「死にたい」ってよく言っていたのか。
死にたいなんて感覚、いま全然なくて心の中から消えちゃったんです。跡形もないくらい。

確実に彼といるこの3年の日々で、どんどん幸せになってるんだなぁと、我ながら思います。


人間の怒りの感情は、必ずその奥(裏)に二次的なマイナスの感情があるそうです。

イライラしてても、
本当は認めてもらえない悲しさ・寂しさだったり
不甲斐なさだったりする  という訳です。

この話を聞いたときに、すごーく納得したし思い当たる節がありありだったんですね。

わたしが「死にた」かった時って、怒りで表しきれないマイナスな感情が働いた時なんです。
もともと怒ることが苦手で、マイナス感情の昇華のさせ方を持ち合わせていなかったから、だろうけど。

どうしてもひどい空虚感に苛まれて、いま話を聞いてほしいけど叶わない寂しさがある
とか
大きすぎる不安を少しも小さくすることができず、自分の無力さや行き場のなさを感じたとき
とか

やっぱり怒りじゃなかったんです。

そこに気づけるようになったのは、素直になったから
じゃないでしょうか。

本当はどうしたいの?
という自分から自分への問いに対して、
きちんと本音をぶつけるようになった。

本音を自覚できるようになった。

そこに至るには自分だけの力ではなくて、たくさん  ハッ  と気づかせてくれる人がいたからです。
いちばんは、やっぱり旦那さんですがね。

それと、不安や寂しさをきちんと受け止めてくれる人がそばにいてくれる事も同じくらい重要な要素です。
これももちろん旦那さん。



素直になるって、やっぱり物凄く大切です。
恥ずかしいとか、プライドとか、そういうのは周りからの目線を意識してるから働くのであって
周りからの目線なんて本気でどうでもいいです。

周りからの想いは、とても貴重な宝物だけどね。

生きているのはわたしで、人生もわたしのものです。
わたしが幸せなら、近くにいるひとも、周りのひとも幸せらしいです。

わたしはわたしが幸せになること、
心からしたい事をどんどんしていこうと思います。
わたしはわたしをもっともっと大切にしようと思います。

それが、わたしの幸せを願って、大切にしてくれてる旦那さんや友達たちへの恩返しになるはずだから。


この決意に至らせてくれた、今日のウェディングパーティーを作った彼女にも感謝です。