消えた1年

びっくりするくらい2019年があっという間で、気づけば前回のブログから約1年…!!

ご無沙汰していますが私は元気です。

 

さて、約1年何をしていたかと振り返れば、昨年の今頃は第二子を授かったつわりがあり、例のごとく早々につわりが明けてめきめきと食欲も取り戻したのが暖かくなる頃。

そして妊娠中にもかかわらず、

4月から一時的に仕事復帰をして7月からまた産休に入ったのでした。

この仕事復帰時期もまあ色々あったのですが、私が印象深いのは長男が保育園に通い始めたこと。

 

生まれてから2年弱、最長でも5〜6時間ほど離れたことしかなかったわが子が、

毎日10時間近くはじめての場所&人に預かってもらう経験。

なんだかすごく、人生初めての階段の1段目を登る気分でした。

それくらい何というか、感慨深いものだった。

 

今や保育園に行くことが当たり前(私のエネルギー温存的にも)になっていて、

毎日一日中一緒にいたことが嘘みたいに思えるけど!

 

そして8月、無事次男を出産しました。

子ども2人の育児、まじで大変です!

ま・じ・で!!!

頭の中が常にいっぱい。

特に2歳–0歳なので、兄のイヤイヤ期やトイレ問題(長男はまだおむつなのでトイレトレーニングというやつをゆるゆると進めてる)、動きたい盛りの男子と寝ている期の赤子との共存。

自分の時間(趣味ややりたいことをする時間)など本当になくなったなーと思う。

その状態で5ヶ月過ぎて、趣味ができないのも当たり前のようになってきているけど。

ひとりで(赤子も抱かない丸腰状態)歩ける時間、ひとりでひとつの空間にいられる時間が少しでもあると、極上の贅沢をさせてもらってる気分になれる。

 

出産前に誰の許可もいらずにできたことは、

いまや贅沢な時間になっていることがほとんど。

ひとりでお風呂入る、好きな時に横になる、外食で好きなものを食べる、休日の二度寝、お風呂上がりのパックetc

 

でもそういう、当たり前に思っていたことをした時に小さな幸せを感じられるようになった自分も、悪くないなって思う。

きらびやかで刺激を感じるものを幸せだとばかり認識していたけど、

どうやら幸せってそうでもないらしい。

 

2人の子を持ってようやく、その感覚にたどり着けてる感じがある。

 

久しぶりで、かつ目の前のタスクで頭の余白がないが故にブログに書きたいことが分からない〜って思ってる

っていう内容のブログ書こうと思ってたけど、

意外と感じてることも多いんだなって分かりました。

 

今年はまた細々と、いや毎日何かしら(という目標を立てておく)言葉で残しておきたいと思っています。

 

こんな風に心の内や頭の中を言葉にできる時間もまた、贅沢なひとときなので。

 

褒め褒めわたし

前回の記事のつづき、《下》の発表がいつになるのかまるで見当もつかない状態で、全く関係のないことを。

 

 

おかげさまでお腹の中の子は順調に育っているようで、

私も順調につわりが続いています。

 

先週くらいから会う友人知人に

立て続けに「痩せた?!」と言われるので、

自覚はないけど(数字的にもさほど変わらず)痩せているらしいです。

 

自覚があるのは、とにかく疲れてる…

 

もうなんだか、毎日朝は起きられないし(1歳児がいるのに9時起きとかです)

それだけ床に就いているのに疲れは取れず、

日中はつわりと食事の準備、外出、1歳児の元気さとの戦いで調子が悪くてもなかなか横になれず、

あっという間に1日が終わる。

 

そんな毎日を繰り返していて。

しんどいなーとは思うけど、打開策も特に見当たらず、

旦那氏に少し甘えて家事をしてもらったり、1歳児に少し我慢してもらって公園時間を少なくしたり、隙を見つけてひとり時間を作ったり。

首の皮一枚(とまでいかないけど)状態で過ごしてる。

 

でね、今日はオンラインのとある会合でお話しする機会があって、

そんな最近の日々の話と、“自分で自分を褒める”ことをすぐに忘れてしまう話をしたら、

 

『その状態で生きてるだけですごい!』

『(保育園問題もまだゴタゴタしている中)3ヶ月仕事復帰して、また産休に入るって選択ができるのすごい!』

『体調悪いなか子育てして家事もやってすごいよー!』

というお言葉をいただき、なんだかもう心にじぃーんと染み渡ったのでした。

 

自分を褒めてあげること

 

前回の自分責め対策にもつながるんだけど、

私たち精神疾患(だった)ひとたちは

デフォルトでこの感覚がポッカリ抜けていることが多いように思う。

 

私は自分を褒めるということは、

“何か大きなことが上手くいったとき”にしかしないことだと思ってた。

 

日常レベルで自分を褒めるような出来事は有り得ないと思ってた。

 

だから今でも、調子が悪い時ほど忘れてしまう。

褒めたくないんじゃなくて、そういう行為とか概念があることを忘れてしまうので、できなくなってる。

 

だけどものすっごーーーく大切なこと!!

 

とりあえず私は忘れないように、

『褒める』って書いて冷蔵庫にでも貼っておくようにします。

 

今日もらった言葉は、本当に嬉しかったな。

それだけでしんどい現状の鎖を断ち切れたかも。

 

限りなく副作用に似ているつわり《上》

明けましておめでとうございます。

と言いつつ1月の半分が過ぎました。

今年も相変わらずの、ラフティングをしているかのような時間の流れ方みたいです。(早すぎる)

 

標題のとおり、わたくし現在2人目の子どもを妊娠中です。

色々まさか!なタイミング(とは言え私たちも選んでいるわけですが!)で、

旦那氏に至っては妊娠確定を告げるとあまりの驚きと動揺で終始苦笑いでした。

 

 

まだまだ妊娠初期、安定期に入っていないのですが、

今回つわりの日々を通して思うところがあって記事を書きたくなっちゃったので情報解禁です。

 

今月に入ったあたりから徐々にやってきたつわり症状なのですが、

私の感じ、精神疾患を治療していた絶頂期の薬の副作用ととても似ている!

 

常に眠くて、ダルくて、体が重くて、

気持ち悪くて、でも吐いちゃうようなものじゃなくて、常にひどい胃もたれや二日酔い(ビール、日本酒、ワインをちゃんぽんした翌日レベル)のような状態で、

ごはんをあまり受け付けなくて、少しずつなら食べられて。

 

私のつわりはこんな感じで、飲み物すら受け付けない方にとっては軽いほうなのだけれど、

これ11、12年前くらいに経験したわ!とふと思い出しました。

 

当時は気持ち悪い認識はなかったのだけど、とにかく食べる量が減ったのでどんどん痩せて、食べてるのに痩せるんだよなーと思ってた。

こんなに気持ち悪かったら食べられないよね。

 

そして常に眠くてダルくて、お布団とベッドから離れるのが苦難の日々でした。

今日の私も、1歳4ヶ月の坊ちゃんを外に連れ出してあげたいと思いつつ

なかなか行動に移せない、『できない』ことにモヤモヤ。自分責め。

挙げ句、自分で自分を責めといて辛くなって涙するという。

昔はこれが自分で完結できず、近くのひと(距離感の近い恋人がメイン)に当たり散らすこともあったりして。だから病気って言われてたんだろうな。

ほんの僅かな、でも大きな違い。

 

そして、この自分責めというやつが、

たいていの精神疾患のひとに存在している。

統計取ったことないけど、当社調べってやつで。

 

自分責め(ほとんどの当事者たちは自覚してないと思う)が精神疾患と言われる症状を強くしていってると思う。

特に『できない!』と自分を責めているうちは、不思議とどんどん『できない』に寄っていく。

 

例えば

お風呂に入りたい・入った方がいいと思うのに動きたくない!動けない!

お風呂に入れない!!(涙)

なんでできないんだろう!なんでこんなことできないの!もうやだ!

こんなダメな私!

 

って、頭の中で責めれば責めるほど、お風呂に入る力が出ない。

 

学校に行く、仕事に行く、起きる、寝る、ごはん作る・食べる、着替える、トイレにいく(めっちゃトイレ行きたいのにベッドから離れられず、限界まで我慢してたことあった)

 

日常生活の当たり前のような行動が、

この自分責めによってどんどんできなくなっていって、

病院に行くと診断と薬をもらって飲んで、

副作用でできないことがまた出てきて自分責めして…というループになるのかなと。

 

とにかく自分のことを嫌う。

自己肯定感の反意語として

自己嫌悪感と表現してる人がいて、

なるほどまさにと思う。

いいところ、好きなところを忘れてしまう。なかったことにしてしまう。

特技:自分のダメなところ探し

が備わる。

 

 

つわりは終わりがあるけど、薬は飲んでる限りループだもんね。

他の方法を見つけないとかなりつらいよね。

 

というか、薬を飲んでても自分責めをはじめとした、精神疾患になる(?)ひとに多い考え方や捉え方って変わらないから。だからしんどいんだ。

根本的な変化がなくて、表面的な症状だけ行ったり来たりするから。

治ったじゃん!て錯覚しやすいし。

そのままの魅力を否定して、

この能力やスキルが足りないからがんばって手に入れなきゃ!って方向に力を入れてしまったり。

 

 

そんなこんな、つわりからの副作用症状を思い出して自分責め対策についてアレコレ書きたかったのだけど、

また長くなってしまったー!

 

ひとまずまた後日。

最近の諸々

いつからだっけな?最近めっきり不調でして、とにかく朝が眠くて眠くて起きられない。

起きても、前夜早く寝て何時間寝ても、

だいたいが朝から疲労感がハンパない。

疲労感、ハンパないって。

息子氏も共に朝寝坊の毎日で、

この症状は寒い&日が短い季節特有なのかな?と踏んでいます。

 

故に、今月22日あたりの(正確な日にちを調べていない)冬至を過ぎ、

年が明け、徐々に日の出が早くなれば

傾眠症状も落ち着いてくるのではないかと期待するばかり。親子共々。

 

今日は午前中にヨガ行ってきました。

託児付きのヨガなので、息子氏を預けてひとりでヨガ。

お金を払ってでもやりたい!と思うことにお金を使う

本当に『ありがとう』と思えることにお金を使う

これって大事ですよね。

お金がものすごい潤沢にあるわけではないかもしれない時こそ、心底欲しているものにお金を使う。

『ありがとう代』って感覚を常に忘れぬよう。

 

あとは、2ヶ月ほど前に始めて受けたホロソフィーにどっぷりハマっています。

ホロソフィーってできてまだ3年ほどらしいけど、全身の身体を調整・治療する施術法のひとつ。

 

ホロソフィーってなんぞやというのはこちらを→ホロソフィーについて | ホロソフィー施術院 奏- kanade-

 

これ、お手当てのように身体の色々な部分に手を当てているだけに感じるんだけど、

とにかく効果がすごいんです。

鍼のあとのような眠気やゆるみ感と、

頭を使わずに『いまの気持ち』に焦点を当てることがどんどんできるようになっていく。

痛みの改善もあるけど、自分が本来の自分に戻っていく感じがする。

いつもこの状態でいられるようにしたいなーって思う。

なので継続して治療の予定です。

 

あとは代替医療つながりで

息子氏の湿疹が最近ひどくなってきて、

もう薬を使うのは嫌なのでホメオパシーの相談に行ってきました。

 

薬はどんなものでも必ず副作用がある。

皮膚の症状は皮膚が原因で起きているわけではないので、

皮膚をどうにかしようと塗り薬をもらうだけではずっと治らない+副作用でもっと治りにくくなる可能性がある。

 

レメディーを摂りはじめて2週間近く経つけど、

顔の湿疹は良くなり、腕が更に出てきました。

症状は身体の上から下へ、移行していくそう。その通りになってて、あとは症状で身体の不要なものを出し切るのをじっと待つのみ。

 

母になってから症状についてのお勉強を多少なりともしてきて、

今のように湿疹が出たり熱が出たりしてもどっしりと構えられるようになってきた。

自分の何かしらの症状にも同じく。

 

目の前のことはダミーって、心屋でもよく聞くけど

身体も心も、症状や現実は、ほんとうの原因を見つけるヒントをくれている。

 

 

簡単にサクッと書こうと思っても、

どうしてもダラダラ書いちゃうな。

言いたいことをまとめる練習しよう。

 

 

 

家事と育児とセルフマネジメント

今日は前職の保険総合代理店のひとたちと飲み会でした。

わたしは会社を離れて2年、

同じ店舗で働いていたひとたちも、この秋で見事にみんな色んな店舗に散らばってしまったので、同窓会兼忘年会のような感じで。

 

店長をされていた上司は、わたしがいまの考え方になる大きな一端を担っていて、ものごとの見方・切り口がとても面白いひと。

ちゃんとお会いするのはそれこそ約2年ぶり。

相変わらずのキャラとテンポと頭の回転の速さで、

生活の9割が1歳児と過ごす時間なので、喋っている内容が途中からコラムを読んでいるかのように聞こえてきて、やはりおもしろかった。

 

自分とは違うテンポとキャラ。

だけど価値観や考え方に共感ポイントがたくさんある。

なかなか稀有な人間関係だと思う。

 

ほかのメンバーもちゃんとお話しするのは久しぶりなひともいて、

大人オンリーの世界にいる時間にひたすら安心感と刺激をいただいた。

 

 

楽しかったなーと思って帰路につきながらのひらめき。

 

いまの生活、今までの人生のどんな仕事や職場よりキツイ(ある意味)と感じるのだけど、

自分で自分を管理・マネジメントしてきてなかった事が一因だなぁと思った。

 

朝決まった時間に起きることも、

会社や学校、上司や先生という周りの目があればできるけど

いまはなかなかできていない。

 

日中の過ごし方も自由がきくからこそ、やっておきたいこと(時にやるべきこと)さえも後回しにしがち。結局自分でしんどくなりがち。

 

久しぶりに上司に会って、多少でも心がシャキッとしている自分に出会って、

この人のマネジメントの視線があったからできていた事は多かったんだろうな〜と思った。

 

学生時代のわたしを見ても、

授業やテストはとてもやる気になって真面目に取り組むのだけど、

『自習の時間になりました』となると

ほぼ決まって友達とおしゃべりに興じていた。

 

結局は誰かに管理されてこそできていたこと。

 

もちろん分別のつかない1歳児と過ごしながらの大変さはあるけど、

そうじゃない部分、自己管理能力の未発達感もある。

 

で、セルフマネジメントってどうしたら培えるのかなーと考えた結果、

『(これを)やる!(このように)やる!』

と決めることだと思った。

 

マイルールを作るということ。

 

ただし固定観念にとらわれないよう、

マイルール作りは“自分が心地いいかどうか”をベースにする。

常識や他者の価値観は無視!だけど自分で決めたことはきちんとやる。

 

好きなことを仕事にするって、こういうことなんじゃないかと思う。

ただダラダラすることじゃない。

 

うん、なんかまたひとつ方向性が見えてきた。

 

 

 

それと帰宅してからフッと見つけた気持ちは、

わたしの強みについて。

 

わたしは保険についてアドバイスすることや、そのサポートをすることには興味も強みもあまりないけど、

精神科に通うようなひとたち(とその家族や周囲のひと)に対して、

病気が改善するツールや考え方、周りのひとの接し方については、伝えたいことがどんどん出てくる。

 

わたしはわたしの経験が強みなんだ。

そしてそれを元に、ひとに伝えたくなるという性分が強み。

 

そう思えたら、進みたい道がすこし明確になった。

 

 

イムリーに、所属している会社がちょっとゴタゴタしていて復帰について考えている時期。

 

心地よさ、楽しさを第一に、

心地いい範囲で考えてみよーと思いました。

らしさを決める

本日も旦那さまのヘルプにより、夜のホットヨガへ。

仕事から帰ってきて、

まだ1歳の、言語コミュニケーションも99%ままならない子どもの面倒をひとりで見てくれるというのは、

本当にありがたいこと。

 

日勤と夜勤が週交代なので、こういう夜ヨガや夜ひとりカフェは隔週にはなるのだけれど、

子を持っても自分のリフレッシュや趣味のために夜出かけられてるって、結構すごいことじゃないかなって思う。

 

 

 

そして今宵のヨガを通してまた一つ気づきが。

着るもの、いわゆる見た目、身につけるもの、服装や髪型のチョイスも

そのひと“らしい”振る舞いや言動などの内面に影響するのではということ。

 

簡単に言えば

自分“らしく”ない服や髪型してると、

本来の自分の姿を見失いがちなんじゃない?ってこと。

 

というのも、

わたしは近年自分の服やファッションの系統選びにずっと頭を悩ませてきた。

 

いわゆるオフィスカジュアルやスーツ系の服装で仕事をしなければならない職場が続いて、

どうも自分らしさが迷子になっていた。

 

わたしってどんな人だっけ?って。

 

出産したら

今度は動きやすいものが求められたり、スカートよりパンツのほうが都合がよかったり(赤ちゃん期は床での生活がメインなため)と、

今までの生活パターンと違うので何を着ようか悩む。

産後の体型変化も相まってファッションの方向性を見失って…

 

で、何故だか分からないけど今日のヨガを受けたら、わたし“らしい”と自分で感じられる方向性が見えてきた。

 

ヨガの時間を通して、最近の頭の中や行動が本来の自分よりだいぶ急ぎ足になっていることに気づき、

本来の速度を意識したら自然としたい格好が浮かぶようになってきた。

 

ということは逆も然りで、

したい格好をしていないと、頭の中や行動が本来の自分からかけ離れていくのではないかな?

と思ったのでした。

 

そういう部分からも精神的疲弊が起こるのではないかなって。

 

やりたいことをやるのが一番!

という考えは、

ものを選ぶときにも「こうしたい!」「こうありたい!」で選択することなんだな。

 

キュンとしたり、うぉー!かっこいい!と思う服を買っているか。

着回し力やら職場のカラーを1番に重視して買っていないか。

それが大事だと思う。

 

 

どうでもいい話ですが、

ヨガを通してひらめいた、わたしらしいファッションというのは

『上品さや女性らしさと、スポーティーさやカジュアルが融合していること』

がトップテーマみたいです。

 

全身女性らしいのは肩が凝るみたい。

かといって楽や楽しい雰囲気だけでは物足りない年ごろなようで、

どちらもがミックスされている状態が一番好みなよう。

 

明日からこのテーマを意識して、買い物と日々の服選びをします。

月曜20時

夜20時、都会の駅へ向かって電車に乗っている。

 

先日都会で飲み会をしてきた旦那さんが、バッグごとお店に忘れてきて鍵も社員証もないので、

私が立候補してお店に取りに行くという用事。

 

自分にとっての華々しい目的が何かあるわけではない。

けれど、私は電車に乗っている時間が好きだ。(もちろん子連れ時は除く。ヒヤヒヤものです。)

 

電車の揺れは1/fのゆらぎという、リラックスできる周波数とのことだけど、

まさしくまったりできる時間。

 

自然と力が抜けるんだな。

毎日のルーティーン内の出来事だったけど、離れたからこそより実感するリラックス感。

 

意識していないだけで、自分にとって大切なもの、好きなことは、身の回りに溢れていることを思い知らされる。

 

出産・子育てって、自分も学ぶ・成長するってよく聞くけど、

ただ子どもから学ぶというより、

人生の真理のようなものに気づける機会が多くある。

 

毎日『疲れた〜〜〜』って思ってる今の生活も、

めちゃくちゃ大切な時間だって、後から思い知るんだろうな。

 

あー、もっと大切にしておけばよかった。

と思いがちだけど、

「生きている幸せを見ることが出来るのは、そこから遠く離れた人だけなのかもしれません」(byすいか)

とゆかちゃんも言っているように、

渦中にいると気づきにくい

っていうことも、また人生の真理なのかなって思う。

 

だからこそ、いまの毎日や身の回りのいいところを、意識的に見ないとね。

大切なものを持ってる!っていう自己実現感を、ちゃんと育まないとね。